増田文学が芥川賞を取れる可能性についての考察
増田*1を読んでいると、ときたま「文学」タグがついているものが目に入る時がある。その中には、すさまじく文才が溢れている文章が紛れ込んでいる場合があり、うっかり読んでしまうと、その才能に歯ぎしりすることになる。その過程でつい、「もしや増田って芥川賞取れるのでは」と一瞬思ってしまったため、以下にその考察を書く。
現実性
どんなに文学性があろうとも、今までの芥川賞の傾向を見ると、増田文学が芥川賞を取ることは不可能だ。文藝春秋のサイトには以下、
各新聞・雑誌(同人雑誌を含む)に発表された純文学短編作品中最も優秀なるものに呈する
と記されている。「はてな匿名ダイアリーだって同人誌の一種だ」と主張することも可能かもしれないが、恐らく無理筋だろう。
というわけで、以下の文章はあくまで、「芥川賞っぽい」かんじに増田文学がどれだけ近づいているのか?という点を考察していった文章となる。
増田文学と純文学の要素
純文学を定義することは非常に難しいが、その内容には、「人間」「世界」「恋愛」「運命」「社会」などが部分要素として含まれていることが多い。これは増田文学にも共通するものであり、以下に目を通せばそれがわかると思う。
- 人間
「先輩っておいくつなんスか?」「何歳だと思ぅ~?(ネットリ)」
- 世界
インターネットは誰が管理しているか? ほとんどの人間はこれを気にしな..
- 恋愛
- 運命
- 社会
このように、増田文学と既存の純文学は、捉えている問題領域が似通っている。それぞれがそれぞれの方法で、彼らにとって重要な問題にメスを入れているのだ。そして、実際に文章を読めば、増田文学がこのアプローチにおいて純文学に決してひけを取っていないことがわかるだろう。
増田文学とギャグ
増田文学の基本はギャグだ。例えば以下の増田を読んでほしい。非常に軽妙な文章に、心を奪われること必死だ。
このような傾向は、決して芥川賞と馴染まないわけではなく、むしろ一部の芥川賞受賞作家はギャグによってその文章をドリブンさせている。(町田康、吉村萬壱、阿部和重 等)
現在芥川章の候補になっている作家の中にも、松波太郎、戌井昭人 等軽妙な文章を武器としている作家がいる。増田文学がこれらの作家のニッチに食い込んでいく可能性は高い。
増田文学と感動
全ての増田文学は感動を生む。感動がなければ増田文学ではない。例えば以下、
これらの作品群は単に人の心を動かすばかりか、私達の持つ身近な問題から、身体性と認知・認識との関係性にまで言及されており、非常に興味深い。
おわりに
増田文学には芥川賞を取れるポテンシャルがあるばかりか、日本文学を変革する力がある。文藝春秋とはてながお互いに歩み寄ることによって、不要なしがらみを捨てることが、今求められている。いつか増田文学が芥川賞作家を輩出することを切に願う。
*1:はてな匿名ダイアリーのこと