文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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テーマ小説「時間の流れ」(おさかな)

「終わっていくんですねえ」
 老婆はぽつりと呟いた。
「はい。終わっていきます」

 数分ののち老婆は一瞬で分解され、装置の上は無人となった。老婆は終わってしまったのだけれど、少し経ったあと装置の裏からハツカネズミが姿を現した。プラスチック製ビーズのような黒い瞳は蛍光灯を反射しながら移動し、物陰に入ったのち、見えなくなった。
さて、今日の仕事は終わった。老婆は終わったがハツカネズミが始まった。

 少子高齢化は悪化の一途を辿り、社会には新しい倫理が必要になった。
老人は終わらなければならなかった。しかし、生きたいと願う者を安楽死させることはできない。まして、姥捨て山のような野蛮な風習に立ち戻ることなどできるはずがなかった。そこで人類が新しい倫理として採用したのは、輪廻転生だった。

 身体がろくに動かなくなった老人、病苦のある老人、身寄りのない老人たちが、この施設にやってくる。彼らは説明を受け署名をし、待合席で待機する。しばらくすると名前を呼ばれ、係の者に連れられカーペットの敷かれた長い廊下を歩く。係の者はある地点で身体の向きをくるりと変え、重厚な木製のドアを大きく開く。部屋の中心には巨大な装置が置かれている。その手前にぼくが立っていて、老人を迎え入れるのだった。

 さて、ぼくは白衣を着ているが、老人の誘導と簡単な機器操作を職務とする労働者だ。応接ソファに腰掛けた老人に、温かい飲み物を与える。そして、これから起きる出来事についてあなたは何も恐れることはないのだということを説明する。老人は頷く。ぼくは老人を装置の中央へ誘導する。老人は装置の上で所在無げに佇む。ぼくは適当なタイミングを見計らってボタンを押下する。
すると、装置はすごい勢いで老人を分解し、あっという間に別の生物へと組み替えてくれる。例えば、猫、サル、鳥、虫、などが装置上に現れる。そうしたら、ドアを開けて放っておく。そのうち生物は部屋からいなくなる。どこへ消えたのかは知らない。ぼくの仕事は老人の誘導とボタンの押下だけだから、その後の行方など知ったことではない。だけど、魚が出てきたときは、流石のぼくでも多少の人情を発揮した。床でピチピチ跳ねている魚を両手で抱えて、施設の裏手にある小川まで運んでやったのだ。その間すれ違った何人もぼくを咎めることはしなかった。だから、また魚が現れた時には同じことをするつもりだ。

 

 ところで、最近は別の倫理が強くなってきているのだという。不死というやつだ。
不死は金がかかるし、基準はかなり厳しい。社会的地位があり、裕福で、才能のある人間でないと不死を得ることはできない。
不死界隈の彼らは、ぼくらのやっていることは非倫理的だという。装置の上で消えた老人とその瞬間現れた生物が本当に同一の存在なのか、確かめようがないのだから、ぼくらのやっていることは単なる殺人だと主張している。ぼくは研究者でないので本当のところはわからない。毎日ボタンを押下している例の装置は、ぼくにとっては完全なブラック・ボックスだ。

 仕事終わりのコーヒーを啜っていると、再びドアがノックされた。案内係に招かれ、初老の男が入ってきた。細身の体躯にぴったりと寸法の合ったスーツを着込み、洒脱な印象を与える男だった。男は僕に向かって会釈すると、応接ソファに腰かけた。何か飲むかと尋ねると、何も要らないと言った。少し茶色がかった銀髪はよく梳かされており、朱色の頬は赤ん坊のようだった。

「お仕事中ですか」
「終わったばかりです」
 ぼくはコーヒーを啜りながら答えた。

「また殺しましたか。不死があるじゃないですか」
「庶民には不死をやる金がないんです」

 特に話したいこともなかったので、部屋の隅に目をやった。
 ハツカネズミが仰向けで転がっているのを見つけた。

「あれは、さっき装置でやったばあさんです」
 仰向けのネズミを指さして言った。
「死んでいますね」
 男は少し上擦った声を発し、僕を睨みつけた。睨まれている間、僕もまた彼の眼を凝視した。彼の透き通った青い瞳は、そこらにありふれたガラス玉のようだった。見つめ合ったまま、沈黙は数分続いた。彼は、また来ます、と吐き捨てるように言い残して部屋を出て行った。

 ぼくは飲み終わったコーヒーを片づけると、部屋の隅まで歩き、ハツカネズミの亡骸を拾い上げた。異様な軽さだった。

 ハツカネズミを掌に載せたまま、施設の裏手にある小川へ向かった。街灯がないため、月明かりを頼りにして、草叢に覆われんばかりの小径を通った。途中、どこかからさざ波の音が聴こえた。思わず、顔を上げて辺りを見回す。

 なぜ今の今まで気が付かなかったのだろう、小道の脇には真っ白なユリが大量に咲き誇っていたのだった。その存在に気が付いた途端、むせかえるように濃密な甘い匂いが鼻腔に充満した。つまり、五感というものは所詮まやかしなのだった。

 小川の畔に到着すると、肉厚で丈夫そうなユリの葉を何枚かちぎり、うろ覚えの知識で舟を作った。出来上がった葉舟は思いのほかしっかりした出来栄えとなった。

 これにハツカネズミの亡骸を載せ、そっと小川へ流した。さて、ハツカネズミはどこまで行けるだろうか。

 葉舟はローヌ川を下り、地中海まで流れ着くだろう。ハツカネズミは、ジブラルタル海峡を越えて、北大西洋へ向かうことができる。カナリア海流から北赤道海流に乗り換えることができれば、ハイチへ行くことすらできる。このルートは、1502年5月11日、150人の乗員を乗せたカラヴェル船4隻を率いて北アフリカ西方のカナリア諸島へ向かったコロンブスによる4度目の航海と同じである。

 仄かな月明かりを頼りに、ハツカネズミの亡骸が鎮座する葉舟を目で追った。
 頼りない様子で葉舟は流され、じきに見えなくなった。