文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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掌編「猿」

 私はブログを生業としていて、ページビューを稼がないことには、日々の食事にも困ることになる。そこでいつもいつも、話の種を探している。人が聞きたがるものに限る。そこで、人が好む話の傾向をつかむため、私はニュースアプリをよく用いた。傾向を知り、対策することが、己を助けるのだ。ところで今日は、何が原因なのかはわからないが、サルに関するニュースが上位を独占していた。サルだ。こんなことは今までなかったことだ。それらのニュースの中でも、『ゴロウ、宇宙に行く』という見出しが目に止まった。私はサルに連絡を取り、その内容を記事にすることにした。インタビュー中のサルは、見事なまでに紳士的だったことをここに記しておく。インタビューが終わり、私は帰路についた。記事のタイトルは、人目を惹くように、あたかもサルが大変な、可哀想な目にあったかのような題、否応なしに人がサルの気持ちを想像してしまうようなものとした。実際に記事をアップすると、評判は上々で、大学の頃の友人や、両親までが私に電話をよこし、よくやった、よくやったと褒めそやした。それほどまでに彼の人生は読者を魅了する英雄性があったのだ。ブログのページビューは、打ち上げの当日まで右肩上がりに伸び続け、本番のその日、さらに前日の百倍のアクセスを記録した。この記録は、私の人生の中でも最高のものとなった。それから半年のあいだ、その記事は私のブログの過半数のアクセスを担い続け、その後ある程度失速、一日千から二千の間で下げ止まった。それらの数値は、以後宇宙船の打ち上げがあるごとに連動して上がり、ほとぼりが冷めるとまた下がった。アフィリエイトでは宇宙船の模型が一日に二、三個売れていた。


 その腹ばいの線は、ほとんど永遠に地につかないものとも思われたが、二十五年が経ち、私の娘が成人するころには、数十アクセス程になってしまっていた。ここまで見守っていると、いつかゼロになってしまう日が来るのではと、私は気が気でならない。今はこの記事は私の懐を温めてくれることはないが、ある一つの期間、私や妻、子どもたちの生活を支えてくれたことは確かなのだった。私は毎夜、この数字を追うことをやめられなくなり、三九、八九、二五、一二、四七、とランダムに上下する波を見て、振れ幅に心を締め付けられた。最後の日、夜中まで粘って、ついにゼロという数字がモニタに刻まれる。私は天を仰ぐ。サルはまだ宙を廻っている。