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文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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テーマ小説「口論」

 

 口は災いの元という。災いは口から始まり口に終わる。災いを避けるためには、常に口に注意していなければならない。しかしどうしても、それに抗えないこともある。これは運命だ。口から発せられた物によって命を失う人間もいるということを、私はこの一連の出来事によって知ることになった。
 瞼を開くと、ゲジのような虫が目の前にいた。驚きの余り一瞬固まってしまったが、噛まれる、と直後思い、布団を剥がして飛び起きた。声も少し出てしまった。枕の上に茶褐色の細長い虫がゆっくりと動いていた。
 見たこともない虫だ。ムカデとも違う。1cmほどもある突起が、細長い体に二列に並んでいる。体自体は柔らかそうで、まるでゴムでできているみたいだ。すぐに窓から捨てたかったが、素手で掴みたくはなかった。毒でもあったら嫌だ。
 早速twitterで、画像を投稿した。知り合いの中で、この虫について何かしら情報を持っている者がいれば幸運だし、、もしかしたら奇特な人がたまたまこのtweetを見つけて、自分に答えを教えてくれるかもしれない。
 有爪動物、という単語がタイムラインに現れた。
 どうやらこの虫は、日本列島には生息していないはず、らしい。熱帯に存在する虫なので、なにかの貨物に紛れ込んだ可能性が高い。最近東南アジアやアフリカへ渡航しましたか? 港や空港の側にお住まいですか? 
 私には何も心当たりがなかった。
 私はこの虫に詳しいらしい人物に、返事をした。3日後、彼は私の自宅にやってきた。彼は大山と名乗った。私はタッパーに捕獲しておいた虫を、彼に渡した。
「もしかしたら、まだ発見されてない新種かもしれません」
 タッパーの虫には特にエサなどは与えていなかったが、今も見つけたときと変わらずずっと動いている。大山はカバンから紙が詰まっているらしい小瓶を取り出し、ピンセットで何かを摘んでタッパーの中に入れた。「ちょっと見守ってみましょう」
 大山がタッパーの中に放り込んだコオロギは、蓋の閉められたタッパーから逃げようと飛び跳ねていた。出口がないことがわかると、今いる場所がどのくらいの広さの空間なのか確かめるため、不格好に歩きまわり始めた。すぐにコオロギは、自らより大きい別の生物の突起にぶつかった。コオロギは足を止めた。その瞬間、有爪動物の頭部がコオロギを認めた。生物は頭を持ち上げると、その頭部から、何か白いものを噴射した。それは糸のようでもあり、粘液のようでもあった。コオロギは逃げようとしたが、それに足を取られ、動けなくなってしまった。背中の突起を揺らしながら、ゆっくりと生物はコオロギに近づき、覆いかぶさった。
「食べてる」と私は言った。
「食性は他のカギムシと同じみたいですね」と大山は言った。
 大山は説明した。「カギムシ、この生物を普通そう呼ぶのですが、カギムシはこのように粘液を噴出し、餌となる小さな昆虫をからめとります。その後ゆっくりと捕食するのです。このように特異な習性を持った生物ですが、分類学的にも非常に独特な生物です。カギムシは一見近縁に見える昆虫の仲間であるとか、あるいはミミズの仲間、そのいずれでもない有爪動物門としてくくられています。有爪動物門は非常に小さなグループですが、その特徴の一つに、海生種が存在しないことがあります」
「海生種?」
「海で暮らす種類、ということですね。カギムシの仲間は陸上にしか存在しないんです」
「それは珍しいんですかね」
「珍しいです。例えば哺乳類だってほとんどは陸上にいるけれど、クジラは海で暮らしているでしょう。今まで見つかっている現生のカギムシの仲間は、全て陸生です」
「現生の?」と私は聞き返す。
「絶滅種は海に生息していたんですよ。化石でしか残っていないのですが」
 そこで、大山は表情を変えた。「絶滅したハルキゲニアには、背面に2列の棘が生えていたんです」
 大山は、とても信じられない、というような顔つきだった。恐らく、タッパーの中の虫の背にも突起が並んでいることに、絶滅動物との関連性を見出したのだろう。大山はタッパーに顔を近づけ、まじまじと虫を覗いた。そしてしばらくして、私のほうを振り向いた。
「ところで、こちら譲っていただけると聞いていたのですが」
「ええ、良いですよ。どうぞ」
「おいくらですか」
 まさか、金を取ろうとは思っていなかった。私はとっさに、「300万です」
「300万」
「はい」自分で言って、馬鹿らしくなった。これはなんというか、衝動に近かった。ここで300万という金額を口にすることが、あらかじめ何かの脚本に書かれていたような気がしていた。「珍しいんでしょう。相場はわからないけれど、もしこの虫が、世の中にこの場所にいる一匹しかいないんだったら、私の言い値をつけるしかないです」
「300万、ですか」
「そうですね」
「ちょっと、待ってください。ベランダを借りていいですか」
 大山は携帯を取り出し、どこかに連絡をしだした。本当に金の工面をしているらしい。私はその間に、自分の携帯でハルキゲニアについて調べた。復元画像を見た。似ている、といえば似ていなくもない。ただ、これが似ているならそこらへんの毛虫だって似たようなものではないのか。私にはわからなかった。
 大山がベランダからもどった。表情を見ると、どうやら金を入手するのには失敗したようだ。「200万円なら出せます」
 200万出せるなら、300万も出せるだろうと私は思った。
「250でも良い。その場合、50万は半年後に払います」
 私はなぜか、ほとんど憤っていた。「300万です」と私は再び言った。「自分にはこの虫の価値はわからないけれど、、あなたの態度が、この虫の価値だ。結局差額の50万をすぐ用意できない程度だとしたら、それはあなたの心が弱いからだ。本気でこの虫が必要なら、半年後なんて言葉、絶対出てこないはずだ」
「なんてことだ」大山は悲鳴をあげた。「そもそもその生物は、ただあなたの部屋に入り込んだ虫でしかないでしょう。あなたがどこかかから捕まえてきたわけでもないし、卵から育てたわけでもない。ただの偶然だ。それなのにあなたは、法外な値段をふっかけているんだ。なんであなたがそんなに強気になれるか、私には全くわからない」
「気が変わった」ここで私は運命の舵を切った。「500万にする」
 大山は虚脱していた。私が急に意固地になったのに気圧されたせいか、目の前に自分が求めているものがあるのになかなか手が届かないことに絶望したせいかはわからない。目が虚ろだった。大山はゆっくりと机の上のタッパーに近づき、横からカギムシを眺めた。5分程眺め、「どうしても500万ですか」
「はい」私はもう自分の意見を変える気はなかった。
「どうしても?」
 私は頷いた。
 その後は一瞬だった。大山は私に飛びかかり、私の首を両手で絞めてきた。私は抗ったが、その骨ばった手を振りほどくことはできなかった。私はしばらく抵抗を続けたが、大山の握力が勝ったようだった。私の意識は落ちた。私はこうして殺された。
 
 ◯
 
 大山は遺体を自分の車に乗せ処分すると、タッパーを自分の研究室に持ち帰った。目ざとい教授や学生に見つからないよう、自分専用の飼育室にその新種を入れた。名前を付けなければ、と大山は思った。しかし大山の心の中ではそれはもうすでにハルキゲニアだった。
 ハルキゲニアが絶滅してからおおよそ5億年後、その化石はカナダ北西部で発見された。その体は細長く、胴体の上下には突起が整列していた。胴体の先端は一方が細長く、一方は瘤状に膨らんでいた。当時の研究者は、棘が鋭いほうを下部、逆側を上部と結論付けた。復元図はその結論に従って作成された。しかし研究が進み、近縁の種類が発見されるに従い、上下が逆だったということが次第に明らかになった。そのことを知った大山は、上下が逆だったということは、前後だって逆だということも有り得るんじゃないか、と直感した。大山は自分の研究室の同僚に、その疑問について語った。同僚はそれを一笑に付した。ハルキゲニアのどちら側が口か、なんて議論は、遠い昔にやりつくされた話だ。今現状見つかっている化石から得られる情報では、瘤状の側が頭部である確度は、非常に高い。もし本当に逆だったとしても、それを証明する手段は、今からバージェス頁岩に行ってより保存状態が良い化石を掘ってみせるしかないだろうな。
 大山はそこで激しく反論したが、同僚の考えを改めさせることはできなかった。その数年後、ケンブリッジ大学の研究者が電子顕微鏡で改めてハルキゲニアの化石を確認し、瘤状の側ではなく、細長い側に目と口が存在することを発見した。復元図は書き換えられた。やはりハルキゲニアの前後は逆だった。大山の考えはやはり間違っていなかったのだ。
 大山は手元の生物を見る。これがハルキゲニアとカギムシとを繋ぐ中間の種類だったとしたら、とんでもない発見だ。1930年代、化石でしか存在しないと思われていたシーラカンスが発見されたのに等しい。いや、ハルキゲニアの場合はそれよりも数億年古い生物だ。桁が違う。大山は慎重に、滅菌されたメスで生物の組織を少々切り取った。あとはこの組織と、現生のカギムシとの比較をすれば良い。
 3日後にはデータが出た。現生のカギムシ20程のサンプルと比較すると、進化の系統樹において、どのカギムシよりも古くこの種類が分岐したことが示された。つまりこの結果は、この新種が進化の根本にいることを示唆している。大山は勝利を確信した。
 次の月には大学のプレスリリースが出た。有爪動物の分類学で有名な研究チームも、カギムシの生息する熱帯地方、プエルトリコベネズエラトリニダード・トバゴ等から続々と帰国してきた。本当にハルキゲニアだ、と彼らは驚嘆した。彼らは古生物学者ではなかったが、それほどまでにその生物の見た目は化石の復元図に似通っていたのだ。
「いったいどこで採集したんですか?」と若手研究者の一人は質問した。
「日本のある島です」大山は真実を言わなかった。「何個体か確認しているので、ほかから流れ着いたものではなく、実際に生息していると考えられます。あまりにもセンセーショナルな発見なので、まだ詳細な場所を公開できないのが残念ですが」
「すごいですね。先生は以前から有爪動物の研究を?」
「ええ。本来の専門はmicroRNAなのですが、最近は分子系統学に手を出していまして。ここ2、3年はずっとカギムシを」
 大山の口からはすらすらと嘘が出てきた。
 向こう一年間、大山は多忙だった。海外の大学からも講演の依頼が来た。大山と、この新種のカギムシの知名度は、急速に上昇していった。
 テレビも何本か依頼があった。それはカギムシに関係のあることだったり、全くカギムシとは関係のない生物のニュースのこともあった。大山はそれらを断っていた。しかし国営放送のディレクターから発せられた最新の依頼は、今までと違い魅力的なものだった。それは1時間の枠の放送で、その枠いっぱいに大山の今回の業績が特集される。この放送の成功がさらなる富を大山にもたらすことは、ほとんど間違いなかった。
 次の週、大山は東京都に属する島に渡航した。撮影班は三日三晩カギムシを捜索したが、もちろん、カギムシの姿は一切見つからなかった。こういうことも往々にしてあります、と大山はスタッフを慰めた。フィールドワークには経験と下調べも必要ですが、運が特に必要になるものもあるのです。今回はそのケースです。私だって見つけるのに何年もかかったのですから。
 島で映像を取れなかった撮影班には、研究室のカギムシを見せた。まだそれは生きていた。カメラマンは、レンズが2つついた見たこともないカメラを使って、それを撮影した。それはどういう種類のカメラなんですか? と大山は質問した。カメラマンは答えた。これは立体データを取れるカメラなんです。スタジオでは模型を用意する予定なので。
 収録当日、大山はリハーサルのためにスタジオに入った。スタジオは簡素だったが、放映時はCGでまるで海中にいるかのように編集されるらしい。
「でもあれはCGじゃないんです。予算がかなり下りたので」
 ディレクターはスタジオの袖を指差した。大山を指の方向に従い、それを見上げた。それには車輪がついているらしく、ゆっくりとスタジオの中に入り込んで来た。
「そのままのサイズで作ろうとしたのですが、あれ、1.5cmくらいでしょう。それだと小さすぎておもしろくないと思いました。逆に大きい方が良いかなと」
 高さはゆうに5mはあったろう。肢だけで2mはある。それがスタジオの横幅ほども続く胴体を支えている。胴体は微妙にくねったようになっており、移動中の姿を想起させた。それは復元されたハルキゲニアと、今回大山が手に入れた新種の、ちょうど中間のような形態をしていた。いや、今回の新種を受けて、あらたに復元しなおしたハルキゲニア、と説明したほうが適切だろう。すごいですね、と大山は嘆息した。
「でしょう。でも、これだけじゃないんですよ。ちょっとしたギミックをつけているんです」ディレクターはそう言うと、アシスタントになにか指示をした。若者が数人、また奥から生物の模型を移動させてきた。2m程度の高さだ。大山の知らない生物だが、きっとハルキゲニアと同様のカンブリア紀のものなのだろう。その模型を、彼らはハルキゲニアの体軸に沿った直線状に設置した。
「実はこの模型、先端からスライムを噴出できるんです。リハーサルしてみましょう」
 粘液。もちろん現生のカギムシは頭部に有る噴出口から粘液を出すが、それがはるか昔に存在したハルキゲニアにもあったかどうかはわからない。というより、海中において、粘液を出すべき状態というのが果たして存在するのか? 餌を絡め取る、という用途では海中では厳しいだろう。もしくはタコが墨を吐くように、天敵から自らを防御するために粘液を出す、というのはどうだろうか。そういえばヌタウナギがそうだった。そいつも大量の粘液を体から出すことによって捕食者から身を守るのだ。確かにそのような形質が5億年経った今でもカギムシに受け継がれているとすれば、これはほとんど感動的な出来事だ。
 ディレクターがカウントダウンを始める。ハルキゲニアと対峙している生物に、ついに粘液が大量に噴出されるのだ。大山はハルキゲニアの先端を見た。そして気づいた。
 「逆だ」と大山は指摘した。「口はそっちじゃ……」
 ゼロ、とディレクターがカウントダウンの終わりを告げた。
 大山以外は全員が尾部だと思っている方向から、スライムが大量に噴出した。無論、口はこちらなのだ。凄まじい勢いで本来の口から出てきた粘液は、逆側にいた大山を襲いかかった。彼は白濁したスライムを振りほどこうとしたが、粘度と勢いがそれを許さなかった。大山が手を振り乱すと、スタジオの机に載っていた飼育ケースに引っかかった。ケースは盛大に机から転げ落ちた。これは事故だった。誰もがその装置が止まることを祈ったが、それに反して模型は狂ったように大山を攻撃した。大山は逃げようとして足を上げたが、今だに止まらない奔流と、すでにスタジオの床に広がるスライムに足を取られ、無様に転倒した。嫌な音がした。大山の頭部を起点として、液体は赤く染まっていった。側ではケースから転がりでたカギムシが、急な天災に怒ったかのように空中に高く糸を放っていた。