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文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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テーマ小説「白い彷徨い人」(小雨)

  子供の頃、冬晴れは縁起の良い日であると教わった。列車の窓からその生命力を見せつけるかのように太陽が雲の切れ間からナイフのように鋭く光線を発する姿が目に映る。
「今日は旅行ですか?」
 前を向くと向かいに座っている紳士がみかんを剥きながら笑いかけている。ブラウンのチェック柄の仕立ての良いスーツに身を包み同色のハットを被っている。
「あっ、えっと里帰りなんです。あれこれ2年帰ってなかったので。」
 急に話しかけられ、声が上ずったが紳士は全く構わず小さくうなずいた。
「そうなんですか。それではお嬢さんのご両親も喜んでいるでしょう。」
「はぁ、どうでしょうか…。」
 正直今回は帰る気などさらさら無かった。お盆や正月もメールで済ませ、挙げ句の果てに成人式まで行かなかったのだから当然である。つい3日前にあの手紙がこなければ私は今頃大学の寮にある自分の部屋のコタツの中で特番を見ながら居眠りをしていたに違いない。だから少し自分がここにいることが良いのか悪いのか曖昧であり、複雑な気分である。そんな私の事情をよそに紳士は細かい作業をする職人のようにみかんを剥き食べている。ちらっと紳士の荷物を見ていると小さなハンドバッグと傘だけだった。
「…おじいさんは小旅行ですか?」
「いえ、私は…、いやそんなものです。どうしてそう思ったのですか?」
「ずいぶん荷物が少ないから。」
「年寄りは少なくていいのです。もう何も残っていませんから。」
 その表情を見て何か引っ掛かるものがあった。しかしこの人の言ってることは嘘ではなく私の考え通り、そういうことなのかもしれない。だとしたらこんな辺鄙な田舎に来るはずがない。そう考えている間に列車は三河駅に停車した。ほぼ無人駅で何もない。紳士は慌てながら
「あぁ、もう着いてしまった。うっかりしてた。よかったらおひとついかがですか?」
 紳士は残っていたみかんを1つ差し出してきた。鮮やかな橙色で身がたっぷり入ってそうなまるまるとしたみかんだ。
「ありがとうございます。いただきます。」
「いえいえ、それでは私はこれで。またどこかであった時はよろしく。」
 そう言うと紳士はすっと席を立ち杖をつきながら列車を降りていった。その姿はさっきまでのまるで古びた洋館に住んでいる哲学者ではなく、晴れ晴れと戦いから帰還した戦士のように見えた。
 駅に着いた時にはもう昼過ぎになっていた。雲はどこに行ったのか裂けて澄み渡るような青空が広がっている。しかしそんな爽やかな空の空気と一体になりきれてないのが相変わらず汚い駅のホームだ。缶ビールが5、6本隅に捨てられており微かにタバコの匂いもする。こういうところが嫌いなんだよ。私はそれらに目をそらし階段を上がった。近くの売店で缶コーヒーを買い改札から外に出た。かなり閑散としており色褪せた看板やポスターが貼られている。曇りガラスのような温もりの風が私の前を通り駅の入り口に立っている木々は目を覚ましたかのように揺れだした。あれから2年か…。そんな感傷に浸りながらふと左側の道に視線を向けると黒い服を着た人達が列を作ってぞろぞろと歩いているのが見えた。その中には身覚えのある顔もいくつかいる。
「遅かったね。ずいぶん。」
 気だるいハスキーな声がした方を向くと白い少女が立っていた。花音だ。2年前と変わらず背丈も顔つきも小さくて幼いままだ。何故かホッとした。
「ごめんね。間に合わなかったみたい。あの葬儀はナオの?」
「そうだよ。知ってる?あの子らしい死に様だったよ。男とバイクでニケツしてパトカーに見つかり逃げてその先にはあの古い看板。」
「不謹慎だよ。あの看板だったの。そう言えばさっき列車である紳士と一緒になったんだけど、あの人も関係あるの?」
「もう会ったんだ。そうだよ。1人で自転車に乗っているところをナオ達に巻き込まれ即死だ。奥さんはとっくに亡くなっていて一人暮らしだったそうけど長生きしたかもしれなかったのにね。」
「まぁ、長生きが一番幸せじゃないことはあんたは知ってるでしょ。」
「まあね。じゃあ、行こうか。早くしないと日が暮れる。」
 私達は葬式の列を避けるように近くの浜辺(この街で唯一私が好きな場所だ。)の方に場所を移した。浜辺の砂は湿っていてスニーカーがすっぽりはまり歩きにくかったが、花音はそんなことはお構いなしで裸足で進んでいった。
「ちょうどいい時に来たみたい。見て。」
 顔を上げると天色の水平線の少し上に強いミルク色の太陽が浮かんでいる。その回りを巡る黄金色の雲は扇のように広がり切れ間から陽射しの雨が降り注いでいた。そして海面には白い舟がぽつんと渡っている。今日は波が穏やからしい。良い事だ。
「あの舟はずっとこの世をさまよっていた女と連れが乗っている。婚約者が好きな花束を持って迎えに来たら決心がついたようだ。」
「ありがとう…。この景色、二回も見られると思っていなかった。」
「別にいいよ。私は何度も見てきたから。70年前位だったかな、急に黒い雨が降ってきて殆どの人が消えていった。今でもあの時は悲惨だった。暫くして父親も舟に乗っていた時はびっくりした。顔も見たくなかったのに。」
「えっ、お父さんが?」
「うん。嫌われ者だった。だから死んでも気づかれず終わった。それでも天国には行けて続きを生きるために去年またこの世に帰ってきた。昨日見たら歩き始めていたよ。」
「前の記憶はあるの?」
「ないよ。私みたいに前もその前のことも記憶にある人はそういない。あれも見てごらん。」
 花音の指差す方向を見ると浜辺から少し離れたところに桜の木が立っていた。少し風が吹くと花びらが舞い散り海上にぽわぽわ浮かんでいる。そして波に乗り転がっている大きな岩にたどり着き、ぶつかりあるものは波に乗って水平線の先を進めば残って岩の回りを漂っているものもいた。
「今日は終わりだ。」
 花音はピシャリと言った。その顔は何かを思い出して余韻に浸っていたような表情だった。
「うん、私も帰るよ。うちに来る?」
「いいよ。どうせ見えないだろうから。」
「そう、残念。」
「また、声掛けるよ。待ってて。」
「わかった。また色んな話、聞かせて。」
「もちろん。」
「じゃあね。」
 私は浜辺をでて商店街のある方へ歩き出した。だがふと思い出し足を止め
「ねぇ、さっき言ってた70年前って…。」
 振り向いた先には誰もいなかった。