文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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テーマ小説:「一行目に死体」(soy-curd)

 


 彼の死因は窒息だった。死んでから十五年の間、彼の死を気に留める者は全く無く、彼はただ、無名の死体としてそこに存在していた。死体はこのように、ほとんど世間の関心と相容れないものだが、無論例外もある。例えば、ジャーマン・シェパードのブロンディは、七歳のときにアドルフ・ヒトラーに贈呈された。彼女はそのような数奇な時代に生きた犬としては裕福な生に恵まれ、ヒトラーの寵愛を受けたばかりか、五匹の子供まで設けている。あまりにヒトラーに好かれていたので、エヴァ・ブラウンからこっそり蹴りを入れられる等の、猛烈な嫉妬を受けるほどだった。ブロンディは、終戦間際に総統本部が地下壕に移転してからも、ヒトラーの寝室で寝ることを許されていた。そしてその日、ヒトラーは自殺する前、青酸カリの効果を確かめるため、ブロンディにそれを飲ませた。彼女の細胞は、地上の生物が歴史によって獲得した、呼吸を司る反応を維持することができなくなり、次々と壊死した。ヒトラーは愛犬の死を見届けた翌日、青酸カリを服用し、直後、万全を期すため拳銃で自らの頭部を撃った。これは、死が非常に有効に活用された一つの事例である。

 

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 欧州樫の樽にブドウ酒が詰められていたのは、刻印によると一九三九年から一九四五年の間で、その間、樽は時を経る毎に熟れていった。ブドウ酒は熟成される間、その素材由来の組成を組み替えると同時に、自身の風味や色素を樽の内側に染み込ませていった。戦禍から生き残った者たちが海の向こうから戻り、人々の手により開封された後も、樽は捨てられることなく新たな蒸留酒の容器となった。ブドウと入れ替わりに封じられることとなった蒸留酒は大麦でできており、色は全く無くスペイ川の水のように透明で、あと十五年後には容器の内側に沈着した歴史を溶かしこみ琥珀色となることを期待されていた。彼はそのような液体とともにひっそりと樽に詰めこまれていた。
 樽は開封されるまで十五年の時が与えられていた。その間に、樽は何度か場所を移動した。一度目は醸造所の建て替えで、それは十倍の広さの倉庫に動かされることになった。樽を移す際は斜めに転がすようにして移され、彼は樽の中で大きい振動に苛まれた。衣服こそ着用していなかったが、皮膚の表面は大分アルコールに置換されており、もろくなった部分から何本かの毛が乖離した。頭髪やうぶ毛や陰毛が酒の中で撹拌され、その運動が終わると、樽の震えも収まりまた長く平穏な日々が訪れた。作業員が極たまに訪れるばかりで、他は鼠の走る音さえしなかった。作業員はその蔵の娘だった。
 彼女は貯蔵庫の室温や湿度をチェックするために、ある一定の頻度でそこを訪れた。まだ彼女は男の裸を見たことはなかった。もしかするとそのようなものに今後近づくことや触れることがあろうとは全く想像さえできなかった。そのようなことをときたま樽にもたれかかりながら彼女は考えた。しかしひょんなことで彼女は嫁に行くことになった。建て替えで逼迫した財政の影響で、もうすでに醸造所には、力仕事の任せられない彼女を働き口として抱える余裕が全くなかったのだった。
 数年が経過し、結局、その倉庫の空間が埋まることはなかった。醸造所の経営が破綻し、新たな酒が製造されることがなくなってしまったからだった。彼を含む樽は売りに出されることになった。行き先はアメリカだった。それは彼にとっては、ある意味馴染み深い土地だった。先の大戦で、彼の部隊の航空支援を行っていたのはアメリカの兵士たちだった。海岸にずらりと並んでいるはずの機銃とそれを操る大陸の兵士たちの勢いを止めたのはアメリカの武装艦や飛行機なのだ。彼はおかげで幾度か命拾いをした。海岸から襲いかかる、あまりの弾幕の激しさに彼らが洋上に足止めされている際、潜水艦の攻撃を受け船が転覆した。数百人の兵士が海に投げ出された。彼は混乱の中沖へ沖へと流されていったが、ほとんど溺れかけていた彼を救出したのがアメリカの船だった。その後戦線に復帰した後も、彼が仲間とともに前へと走ると待ち構えているはずの塹壕が次々と炎に覆われていき、あとは、見渡す限り荒れ地となった土地を進軍すれば良かった。アメリカ人は戦いに物量を持ち込んだ。全ての生き死にや技術や思想は生産された火薬の前には意味をなさなかった。撤退時、帰り際の航空部隊に地上から帽子を振ると、機体は二周も余計に旋回して名残惜しそうに自分たちの基地に帰っていった。

 

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 船は五日もすると東海岸にたどり着いた。樽は他にも大量にあり、順序良く積み荷は降ろされ、端から無蓋のトラックに載せ替えられた。その様子を画家は手際良くスケッチしていた。男は印刷画家で、このような機械的な反復作業にひどく興味を覚えていた。樽は雑役夫の手により一定のリズムで移動されていく。どの樽も柾目を外側に向け、色合いの多少の差異は幾何学的一様性の前には意味をなさず、目の前にはただ大量生産された容器たちしかなかった。その空間的均一さは次元の垣根を超え、この情景が明日も明後日も変わらず同様に続くことを予感させた。画家は無心に描写を続け、ひとつながりのコマ撮りのような線画が増殖していった。そして、男はその樽に気づいた。
 画家は雑役夫に手を止めさせ、その樽を持ってこさせた。もちろんそれは時こそそれなり経ているが他の樽と同様の樫樽でしかない。ただ画家は偶然それを見つけることができたのだし、男自身天啓だと思った。驚くべきことに、その樽は他のどの樽と見比べてもほんの僅かの特徴もない、工学の美的結実なのだった。
 画家はその樽を前にして、素描を始めた。そのカットが三十枚を超えた頃、男はその樽を買い取り、自宅へと戻った。その日から作業場に篭もり二色刷りのシルクスクリーンを作成すると、次に時計を見た時にはすでに五十時間が経過していた。刷ってみるとそれは本当にどこにでもある樽でしかないのだった。男は満足してそのまま目を閉じた。画家はその絵に眠りと名付けた。
 今新たに生まれた作品は画家の膨大な作品群のひとつでしかなかったが、かなりの高値がついた。画家はそれを三十枚だけ刷った。それらは最初ひとつ九万ドルで売れた。十枚目を売った頃には一枚五十万ドルを超えていた。樽はいつしか、世界で最も有名な樽となっていた。展覧会の目録に載った縮尺版から、美術雑誌の表紙まで、ありとあらゆる複製がそこには存在した。

 

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 彼は樽に忍び込んだ日のことを覚えている。彼は軍人で、フランス北部海岸に上陸した万人の内の一兵卒だったが、彼の当初の不安とは裏腹に、結局はライン川西岸まで戦い尽くした。戦いが終わった時には、妻は病で死んでいた。葬儀も全て済んでおり、人生において今後なにを成すべきこともなくなっていた。彼がこれまで生き抜いたことには、なんの合理的な意味も見出せないのだった。彼は暗闇を求め、彷徨い、辿り着いた先が樽だった。彼は酒に溺れることにした。彼は念入に体を洗ってから、タイミングを見計らい、樽に飛び込んだ。
 樽はいまや、そのようなコンテキストを無視して、画家の手に渡っていた。次の週末、ある名誉有る賞を祝う式典での開封が約束されていた。画家はもはや何を刷る必要もなく何を書く必要もなくなるほどの名誉を手にしようとしていた。これまでの地味な生活に終わりを告げるのが、この凡庸な樽なのだ。画家は、華々しく自分を飾るはずのこの酒を、まだ一口も飲んだことがなかった。側面に穿たれたダボ穴から花のように咲く蛇口、そのコックを撚ると時を凝縮した芸術的な液体が流れ出るはずだ。画家は使用人に手伝わせ、味を確かめるのに最低限必要な量を杯に注ぎ、それを一口舐めた。それは熱かった。鼻腔に満たされる香気が体を貫き、幸福の大きな塊が画家を襲う。杯に鼻を近づけ呼吸を重ねる毎に男の中に含まれていく、十五年間熟成された彼のほんのわずかの一部。