小説:一行目に死体(社会死人)
後悔(一行目に死体)
僕の前には一つの死体が転がっていた。
「これは一体……」
異様な光景だった。だって僕の体、正確にはさっきまでの僕の体だったものが転がっているのだ。なんで死体だとわかったって? 僕がここにいるからに決まっている。人間は自分を鏡以外じゃ見られない。僕が僕である理由なんてデカルトの「我思う、故に我あり」より自明だ。
とりあえず僕は観察してみることにした。この状況を打破するにはそれが一番手っ取り早いだろう。
近くには大きなマンションがある。自分の住む四階建てのマンションだった。きっとここから飛び降りたのだろう。でもあまり記憶がない。それが頭を打ったからのか、体がないからなのかもわからない。
思い返してみると、僕はなんとつまらない人生を歩んできたのだろうか。今回だって酒に酔っ払ってその勢いで窓から飛び降りたのだろう。そうに違いない。
すると、あとはもう天使なり、神様なりをお待ちするしかないのか? 仏でも良い。早くきてほしい。つまらない人生だった。早く消えたい。
そうだ、ほんの数時間前に呑んだ奇妙な酒のせいかもしれない。仙人みたいなひげのおじさんが注いでくれたっけ。なんて言ったっけ。思い出せない。
「あ、後悔酒だ」
じゅうざけと読む。どんな酒かまでは思い出せない。唯一覚えていたのは味だった。
「あれはうまかった」
確かにあれほどの酒を呑まずに死んだら後悔するだろう。でも呑んだ僕には悔いはない。そんなこんなで僕は目をつぶった。
ああ後光が見える。きっと神様の迎えが来たのだ。だからこんなにも明るくて暖かい。
……いつになっても僕の体に変化はない。うんともすんとも、ただ小鳥がさえずっている声が聞こえるようになっていた。
「うーん?」
誰かがうずいているような声を出した。目を開けると、死体だと思っていた昔の自分の土に汚れたまぶたが動いていた。周りは明るい。
「あれ? 僕はなんでここに?」
「いや、なんで? え?」
目を開けた昔の僕はまったく変わらずに立ち上がった。それが不思議でしょうがなかった。僕は今の僕の体をもう一度見る。僕はここにいるぞ?
「そうか、後悔酒とかいう変な酒で酔ったんだな。確か死ぬほどうまい酒と言われたっけ。でも僕は死んでいないぞ」
僕には僕の声は届いていないようだった。昔の僕ははにかんでいた。
「んあー、眠い。部屋で寝よう」
「あ、あの、待って」
朝は温かかった。僕の顔を初めてじっと見た。鏡で見るよりもりりしい顔をしている。スタイルだって悪くない。
僕の体だったものは僕の許可なしで僕のマンションの出入り口へ歩いていく。ああ、惜しいことをした。あの酒の効果が今、わかった。