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文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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テーマ創作『カフェの中』(soy-curd)

 

   

 

 

 三百二十円、というのが会計の金額だ。ホットコーヒーのSサイズと、小さいチョコビスケットを足した金額。この店で三百二十円という値を出す、一番ベーシックな組合せだろう。ただし、これだけでどんな人間がこの注文をしたのかまでは、全然わからない。小腹が空いた男性が注文しそうな気もするし、ビスケット好きの女性が頼みそうな気もする。恐らく喫煙者ではないだろう、というのがかろうじてわかるくらいだ。この店の喫煙席で、甘い食べ物を見かけることはほとんどなかったから。
「また幽霊か」と店長は呆れて言う。そうですね、と言いながら俺は店長に違算の報告をする。レジで売った金額よりも、丁度、三百二十円多い金額が、売上に紛れ込んでいた。
 もちろん、幽霊などいるはずはない。違算が発生する場合というのは、お釣りの渡し間違えかレジの打ち間違えがほとんどだろう。しかし、違算が起こったのは今日だけではないのだ。しかも、同じ金額の違算ばかりが起こるというのは、やはりおかしい。
「これで十回連続か。ひどい物件を掴まされたもんだね」店長はこちらを向き、「ただ、こんなことが起こるのは君が来てからなんだけどさ」 
 自分だって、こんなこと起きるのはこの店が初めてですよ、とは言えない。「すいません」と一応謝った。
「いや、いいんだ。他の人が入ってるときにも起きるしね。それに、増える分には問題ないわけだし」店長は売上から違算分をポケットに移動した。問題ないことはないと思うが。「カメラにも映らないんだ。最初からなかったのと同じ」
 実際、三回目にこの違算が発生した時、監視カメラの映像を店長と見た。店長としては、そこでバイトの悪事を見破ろうとしたのだろうが、映像には特に異常なものは映っていなかった。それから、店長はこれを幽霊と言い始めたのだ。
「おばけはいるんだね。わざわざ神社に行ったんだけどな、昨日。厄払いに」
「なんなんでしょうね。律儀に同じ金額を」
「そうだな……」店長は少し考えを巡らしたようだった。「煙草代くらいには、なるのかな」
「吸うんですか」
「吸わないね」店長は言う「辞めたんだ。今は全然吸わない」

 

 ●

 

 俺は次のシフトで、始業時、あらかじめレジから三百二十円を抜いておいた。あとでばれたとしても、「遊び心」です、とでも言っておけばあの店長なら通じそうだ。そして案の定、精算の際、違算は発生しなかった。レジの記録と中の金額が一致したのを知り、店長は少しさみしそうに、お参りがついに効いたな、と笑っていた。
 俺は家に帰る前にコンビニに寄り、金の使いみちを考えた。三百二十円。そして、試しに一箱、煙草を買ってみた。自宅にたどり着く。一人暮らしの家、大学の誰かが置いていったライターと空き缶を持ち、ベランダに出た。火をつけ、口元に運ぶと、毒みたいな味がした。
 そのときだった。幽霊がベランダに姿を現した。
「それでね」と、幽霊で、かつウェイトレス姿の女性は言う。彼女は店長の元恋人で、三年前に、交通事故で死んだらしい。幽霊はそのように身の上話を続けた。「子供が欲しいって言ったの。そしたらそのときね、彼、私のために煙草やめるって」
 うんうん、と俺はうなづく。幽霊を見たのははじめてだ。俺は若干緊張していた。
「それでお金をレジに入れておいたんですか」
「そう」幽霊は悲しそうに言った。「もう、別に煙草を辞める意味もないもの」
「でも」俺は率直に告げた。「三百二十円じゃ煙草は買えないですよ、安いのしか」
「そうなの」幽霊は驚いた。「全然知らなかった」
「値上げです」今日もレジから抜いた金だけでは、セブンスターを買えなかった。「たぶんまた上がりますよ」
「そう……考えとく」
 その瞬間、幽霊はベランダから消えた。
 俺は先日この仕事を始めたばかりだが、バイトを募集していた理由は、従業員が一人辞めたからだという。それは今の店長の恋人だ。こちらはちゃんと生きていて、来月には結婚すると聞いている。店の従業員に、二度も手を出す店長の気が知れない。
 幽霊はその隙をついたのかもしれない。店の様子を見て、またよりを戻せると思ったのだろうか。どちらにしろ、意地が悪いな、と思う。俺は空き缶の縁に煙草を押し付けた。もう二度と吸わないだろう。死ぬのが早まって、嬉しいこともない。
 翌日の精算では、違算金額が四百六十円に増えていた。「やっぱり煙草代ですね」とカップを拭きながら俺は言った。店長は額に手を当てて天井を仰いだ。