文學ラボ@東京

(文学をなにかと履き違えている)社会人サークルです。第22回文学フリマ東京では、ケ-21で参加します。一緒に本を作りたい方はsoycurd1あっとgmail.comかtwitter:@boonlab999まで(絶賛人員募集中)。

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本日の小説

「猫を食べたことは残念ながらまだないが、猫に食べられそうになったことは一度だけある。あれは黒と薄灰色のぶち猫だった。確か首輪をつけていたな」
 先生はそう言うと、恐怖のあまり、痩せた体をぶるっと震わせた。よっぽど恐ろしかったのだろう。呼吸も不規則で、荒くなっている。先生の頭の中は牙を向いた猫の顔でいっぱいになっているに違いなかった。
「このように、物陰からいきなり襲ってくる前足、どんなに暗い軒下でも私たちを見つける眼、この世のものとは思えない下卑た唸り声、それらを一度体験してしまったら、私たちはもう駄目だ。私たちが育つ過程で、仲間が(つまり鼠たちが)死んでいく原因の7割が猫だった。私たちは生きていく上での、空間も食事もふんだんに用意されているにもかかわらず、丁度いまくらいの数以上にはなかなか増えないようになっていた。こちらが増えたらやつらも増えるからだ。私たちはそのような地獄のような運命に耐え忍んできた。そこには光がなかった。希望が、輝かしい未来が、」
 先生の授業が中断された。地が、傾いだのだ。
 私たちは舟にいる。巨人にとっては小舟だが私たちの家族を乗せるには十分な広さの。巨人の雄叫びが上がる。揺れたのは彼らが跳ねたせいだった。笛が鳴る。鼓が打たれる。そして彼らの荒々しい歌が。先生はその圧倒的な音圧に一度気絶し、起き上がるや否や、二度気絶した。
「先生」私は先生を起こして言う。間違いなかった。これほど巨人たちが興奮する理由が他にあるはずもなく、「先生、……陸地です」
 先生はやにだらけの眼を見開いた。それもそうだろう。彼はたっぷり700日間もこの舟の上にいたのだ。先生は知っている。あの考えられないほど永い間私たちの大陸から切り離されていたそこは、私たちの楽園だと。伝説の土地だ。そこには猫もおらず犬もおらずイタチもいない。あらかじめあの地に住んでいる生き物がなんであろうと、こちらは今まで猫どもに揉まれて何世代も生を繰り返した鼠の血を引いている。私たちには誇りがあるし歴史がある。私たちには先祖の魂が彫り込まれている。船旅は長く、もはや私たちの間で猫を実際に見たことがある者は先生しかいないが、全ての体験は私たちに語り継がれた。巨人の咆哮と共にこの舟が上陸した瞬間、私たちはきっと陽の光に向かって駆け出す。住処を探し木のみを見つけ子を増やす。私たちは展開する。繁栄するんだ。